居酒屋で忘れた煙草のラスイチに

ほら、その、もう少し下らへんというか、下降している感じみたいなものがあって、そいつらは頻りに信号待ちくらいで、刺してくる。学者の地層を眺めるときの目付きと、片眼鏡の奥で光る瞳孔の、その間に立ち尽くしている倦怠、まなざしへの、メザシの唐揚げが旨い、早贄まで飛んでみて、腐らせてしまった多くの鶏肉にクセジュを投げ掛けて、メダカを目下見ているんだけど、目があったときに鋭角だとおもう。先端恐怖症の友人に煙草を近づける悪趣味は、昨日した。今度はメダカを近づけてみよう。数年前、女がラーメンを鼻から出しているのを眺めてから「胃下垂で」と彼女が弁明するのを聞いた、おそらくどちらも同じことだ。ホッピー中。絶えずデラウラ、はその生涯を汚れたシーツを洗うのに費やしたが、水を吸って潤沢に跳ね回るシーツに女の影を見たのだろうか?火炙りにされた狂犬病の女にとり憑いたものどもは、火によってその威厳を失い、あと肉汁を放つ。ハラミください。用心深く見張ることだ、いいな、串の先端部の焦げ付きからそいつらは染み出してるかも知れない、宇宙と呼んでもいいかもしれない、ウェルズの海底が奇しくもその色として似るような塩梅で、魂の焦げ付きが至るところに張り巡らされているに違いない。てんでばらばらだ。統一感を伴って?お会計で。交差点で立ち止まって後ろに振り向いて手を振り何かを暗示する女を見た、俺は後ろを見たが誰もいなかった、「ここから」、なんて言ってるのかぜんぜん聞こえなかった、三回目で狂ってるのだろうかと思ったら、素っ気なく向こうの通りに入ったらその暗示をやめて、カーキ色のダウンジャケットの右裾をぶら下げながら女は消えていった。数秒もするともののみごとに雑踏で、うすら寒かったので地下鉄のホームで暖でも取ろうと思った。何人かと目が合ったが、そのままみんないなくなった。

いぬくさい

うう、とかああ、とか喚いていたりする。犬臭い!築地市場のホルモン丼を考えて、まだまだ、状態はちっともよくない、漫然として、テンポがぜんぜん上がらない、た、あ、む、た、あ、む、……白線の内側を越えた双子の片割れ、冷静さを欠いたに違いない、それこそ証明問題におののいて、三角関数の周りに張り付いた肉塊がシミになって取れないときのような単語!ぶぇーぶぇー鳴りぶぁんぶぁかだーばーばーばー潜伏する息の、当て処をなくして傘を叩きつけ諸世界の底は「もっと下」と言い始める、んん、臭い!入念に、入念に、乳鉢で擂られるゲンコツ、飛散する胎盤マグネシウム色をしており、それらが生命を近付ける度に燃える、燃えなければならない、んん、臭い!臭い!あるいは鼻孔に引っ掛かっているのかもしれない時間が、凍りついた炎と呼ばれる胃の痛みが、黒胆汁を垂れ流したわが片割れ、フォアグラよりホルモン屋で得られる第二の人生を!常に第二だ、二楽章目、イントロが終わったあとの退屈なAメロ、俺に与えられたハードテクノ、この臭いは産まれる前に嗅いだはずだ、つまり白線の内側において。鍋だった、テフロン加工された俺の実存ゎゅるくゅるくなってィク……、っかみにくぃ鍋の取っ手に並んだ前-弟共を突き飛ばせ、非-弟も、未-弟も、三度回ってワンと吠えろ、キックの三連符!

膣内バレー

東京の話をしてみようとすると途端に途端にその、町がぼやけていく感覚がある。と言うのも実際二年ばかり住んでみたものの、未だ知っているのは微細な特徴だとかではなくて、単なる答え合わせに過ぎなかったからだ。感傷的な文章に合わせるために都市があるんじゃないからな、わかってるのか、なる旨の十代の怨恨がそのままのし掛かってきてそろそろ重たくなってきても、依然それが文化的であるだとか人に溢れているだとか、会いたい人に会えるだとか、そんなことでは決して決してなかっただろうし、ないだろうと思っている。首都の名詞に張り付いたものを人間がそのまま受け止めきれないから、うちから近所の煙草屋までの通りには二三の吐瀉物があり、地元の盆踊りよろしく夏の代々木公園には使用済みのゴムが転がる。飲食店を近辺に置き排泄欲求がやたら高めるわりに、新宿のルイヴィトンにはトイレがない。ひたすらつらい。なめとんのか。
「東京は、誰にも会えない。」と書いたのは誰だっけ覚えてるけど知らないふりしとこその方がかっこよさそうだし、ナウいでしょそういうの。コンクリートジャングルは寒いぜ、切実だぜ、などと言っていればいいのか。そんなものか。大状況めいて書き出したものの、なんにも浮かばねえ。そういえば「東京はクソ」と言う人々の目玉には常にこっぴどい人間模様があるんでしょうね、可哀想ですね。昔の女をボロカスに言う気持ちと似ているんだろうとひとりでに思っていたら口を揃えていて、こわくなった。それだけ。
答案用紙を裏返して落書きを続けるその気持ちが未だに残って困っている。まだ解答欄は微塵も埋め尽くせていない。アンチョコはずいぶん昔にひとりでに破裂して、カンニングペーパーは教室の外に飛び出した。パルコの広告のセンチメンタリズムに浸されてビシャビシャになった机の上で、鉛筆をしがんで教鞭に打たれる。

(汗)

 実家は海沿いの神社の裏にあって、朱色のペンキで塗りたくった鉄の階段を上らないと居室に入ることができない。階段の天辺から転げ落ちる夢をこどものころに何度か見た。母親に聞いてみるとやはり落ちたようで、傷はなかったがたいそう泣いていたらしい。靴を結ぼうとした拍子に自分の体が宙に浮く、そのどこにも着かない感覚が厭で堪らなかった。起きてみると冷や汗は尻まで染みていて、これもまた不快で、そのたびにグズグズしたピカチュウのブリーフのパンツを振りほどこうとするのだがうまくいかず、かれこれ十余年ばかり張り付いている。タグに書かれた名前には怠惰とある。

 自分のことを怠け者だと言うようなまねをしたいわけではなく、少なくとも部屋の隅にはじっと体育館座りをしたそいつがいるのをよく見かける。心身を二分割して指差して、わたしと何度も記述して遠ざけてしまえればどれほど楽だろうと思っていたら、そうでもなかった。暗い目をした少女が爪を噛んでいるなどとは言い過ぎで、実際は陽気な中年男がパン一で独り言を言いながらこちらをガン見しているくらいのイメージ。パンツにプリントされたピカチュウの電磁波によって俺と中年男は精神を共有しており、眠る前になるとよくふわふわタイムくらいのニュアンスで「そうだ寝ようよ」とか頭の中で言う。起きても言う。度合いによって中年男の数は増減し、ひどいときには六畳に満杯の中年男が犇く光景もある。その度にアルミホイルで結界を作りそのリンクを断ち切ろうとするのだが、淀んだ汗でもって決壊する。ギュウギュウに詰まった中年男性の加齢臭を嗅ぎながら、俺は老いる。しかしある夜中に目が覚めると、ポケットピカチュウを手にしたまま、リセットボタンに何度も爪楊枝を刺しているのに気付いた。毎晩俺はそのまま浮遊し、ピカチュウのありえたこと、初恋、坂の下の公園、前歯、奥歯、カツ丼、オムライス、の中に入ってるチキンライス、を際限なく観測させられる。怠惰は爆笑して腹を掻いている。裁かれるのを先延ばしにするためにひたすらリセットボタンを押しまくっていると、手元に転がる見知った顔。

セイベベ

 物心が付いた気が未だにしない。中空に自分の魂がふわふわと浮いたままで、日常的に幽体離脱しているからこのような身体なのかなあなどと体育祭で行進ができずに端っこの方に追いやられていたころ、思った。身体が不器用で、などと言い出すと、それは誰が、と言われ、なにと比べ、と言われ、じゃあこれは、と言われ、はい、と黙る。はい、はい、灰になるとハイミナールは似てるというダジャレでもって文章を回そうとしたけど薄汚いのでやめた。こどもは七つまで人間ではないというのが有名だけど、そのあいだこどもの魂は中空に位置していて、常に第三者的に、そして確実に第三者であるからこそ感覚が鋭敏であるはず。失っちゃったのねアタシたち……という居酒屋であと一週間後くらいに語られるあのゆるい感傷が、冷めて見えるし他人事めいているのは、むしろそれが厳然と自分事に他ならないからだ。いわゆる天使主義的虚偽です。そういったものをむしろ受け止めきれないか考えているあいだにうどんを茹でるために沸かした湯が沸騰する。手元にあるの二千円くらい。光熱費はまだない。ウギョヒーッ。ウヒイイーーッ。ウジャジャゴジャグジュジュジュジー。グエッヘ。エッホ。オエッ。……しかし、こどもであるとかおとなであるとかそういう話をすることで名前を付けてラッピング、ジバニャンが黒衣でもって見せ付けてくるのは痛々しい一人称だ。いかんせんひっついているので統御できるものかと思っていたらそうではない、おれがおれに馴染んでいない。誰が、なにと比べ、じゃあこれは、はい。うどんの光臨をべたつかせて天使はスプーンの上に乗る。

エンドレス反吐

麦酒が剥奪するのは間違いなくそれ、復唱しろ。日毎にどんどん「あーなるほどーこれねー」という風にさまざまなものが二次的に想起するのだろうけど、そうして総称されるところのものは幽霊であるし、つめたい。アイスクリーム食べたそのあとの頭痛のことは考えないようにしてる。だいたい万力で頭を締め付けられるところからものごとは発生している。しかし実はそれはシェビラーハケリームよろしく、ジグソーパズル状の頭蓋が互いに反発し合うという逆の作用によって成り立っていると見ていい。革袋に詰められたところの糞尿は革袋がなければただ悪臭を放ってその内消えるだけなので、締め付けられるのではなく破裂、パンとかポンとかポップコーンラブのニュアンスできみたちの膨張係数が増加する。吐き戻す瞬間の紅潮した顔でも、バルーン現象起こす子宮でも、お好きなように。電車が入る。不ァァァァン。

夜、しこたま飲んで帰る最中のかなしみ(笑)めいたものは記憶の本来的性質を酒というエーテルがわれわれに見せたに過ぎなくて、東西線のホームで座って女の尻眺めてるときもなぜこのままというようなことくらいは考える。ただ見せてくれなくてもいいのでは、と思うより前に車内アナウンスで罪状が速度で述べられるのでだめ。くるしみに対して「知らない」と言い続けるのはペテロっぽくてとっても人間っぽい。このように彼らは形容詞的にしか形容的にしか動詞であることができない。常に終止で。・とも言う。散らかった音の炸裂に対抗してゲロを吐こうと思ったら犬と目があったのでひとまず中断。地下鉄の切断より切断されている。こねくてぃかっと。

麺類インジ阿頼耶識

 「兄ちゃん、これ開く?」駅前の石作りのベンチの上で友人と座ってたばこを吸っていたら横で座っていた爺さんから唐突に声をかけられた。テカテカ光った好色そうな顔と雑な洋服に少したじろいだが、異臭もしないし安そうなキャリーバッグも汚れてなかったので浮浪者ではないはず。「オイル入れたいんだけど開かなくって」と言うので、差し出されたオイルライターを外そうとしたら存外に固い。ぜんぜん開かない。友人に手渡したところ火打石を中に畳んだら簡単に外れた。そこから、爺さんにどう見ても100円のオイルライターを3000円で売りつけられかけたり、どん兵衛とバットをもらったり、爺さんの昔話を聞いたり、要はいろいろあった。「明日電話するから飲みに行こう、奢ってやるから」と爺さんは言って、おれたちはそこを後にした。電話はまだ来ていない。三日前の話。

 

 しばしば幽霊に逢う。見知った人の後姿だったり横顔だったりにおいだったり身に着けているアクセサリーだったりがちらついたときにそれは現れる。目が悪いから、誰が誰だかよくわからなくて、この間は電車で隣に座った人間の感じでいろんなことを考えた挙句、結局出るときに見るとぜんぜん想像していたのと違ったというのが三連続くらいで起きた。知らず知らずに漫画のキャラクターに誰かをなぞらえるあの行為について、歌われていると思うことについて、あるいはあるいは。それらの目の前に立たされ「ほー」と息を吹きかけられると、魂にあてられて少々つらい。40つらいくらいはある。ぷしゅけーっ。しかし幽霊はなにごとも語らないので、安い中華屋でラーメン啜ってる最中くらいは、なにも聞いたつもりにならなくて楽。(『音は事物のあらゆる顕現を二重化する』とのことですが、二重化されたところの片方が幽霊であるというのは考えるまでもありません。乞食の夢が、おまえの夢が)発語の兆候感じ取るたびおののき以て対峙させられラーメン啜る思い出横丁、想起がひとたび傷口を抉り出せばズルズル鳴って、おれは一人称を失い永遠に三人称たるものとして浮遊させられる。中空に浮かされた麺類の気持ち。あの爺さんが持っていた家族の写真が、いずれも六年前もしくはそれ以上の歳月の隔たりを持っていたことについては口を噤むが、まあ。