息継ぎに吐息が交じってむせかえる。ちょうど墓の裏側を過ぎた辺りで(息継ぎをするように)もう一度咳をして帰路に向かう。夜半だった。蝉はまだ鳴いているので夏だと思う。そこにおいてまだ夏はサイコー足りえるはずだ。きっと。たぶん。おそらく。暫定的には。希望的観測においては。希望的? 希望があるのではなくいるのなら今頃埋立地の肥やしになっているだろう。股を広げて。

 ……丸ノ内の辺りを軽く過ぎて「東京だからね」の響きを咀嚼してオエってなるその作業がそもそも嫌になるというかダサいというかぜんぜんナウくないというかなにを期待しているのかけっきょく期待していたのかというのをグルグルグルグるとわーるさせている。とろわ。車窓は暗い。voirとの連関を持って、光景には常に垂れ布がかかっていて、それは小陰唇のかたちをしている。丸ノ内。薔薇が象徴学的に女性器でありダンテが見た円形の薔薇においてゲーテ的なドウタラがナントカしてるとかはともかくとして、毎月お堀の周りの池が赤くなるのを想像してやめた。こわい。瞬きする女性器からは黒ずんだ涙が出る。こわい。目は閉じられるが、耳は閉じられない。こわい。「垂れ布が落ちる」口に出したところで停車。ホームドアが開く。血の涙がドアから毀れ出る。……

 「楽でしょ?」と鳥型のおばちゃんに言われたので「ええ」と返した。「あーでもさっきね、座ってたじゃない、そこ。そこいつもあたしらが座ってたとこでさっき違うとこ座ってたんだけど、なんか落ち着かないのよいつもの位置じゃないと」「あーすいません」「なんかわかんないけど日ごろ座ってるからなんだろねえ」定位置に。ガムテープははじめ真ん中でアタリをつけて引く。そのあと外枠に張って補強する。01はホワイト。それ以外は左の箱に。袋から出ているものは丁寧に畳んで入れること。コンクリートの梁に頭をぶつけても我慢すること。規則性が際限なく存在を断絶することでその都度自明にわたしであるところのわたしを生かす。あと工場勤めだったヴェイユのことを思い出した。かわいい。棺桶のように開いた段ボールに詰められた無数の女物に射精したくなった。

 

 空の炊飯器は天空を素描するのでもやしがおいしい。豆付きである。夜の陰核が月。溢れる活力。三度まで言うが呪われろ。

卵黄

酔っ払うと天使が縮こまっているのを感じる。容積の減っていくグラスとか「なんでおまえは固いんだろな」と言われた鉄の柱とか、その根本に小さくなった天使がいる。天使はだからこそいまは視線に満ち溢れていて、それはつまりはぼくたちが登ったジャングルジムがむかしは大きかったその意味において、まなざしが(そして名詞が、)落ちてきた意味において。

夜。ぼくは夏の一片とされるだろう。その木漏れの遠のきを止めることなどできはしない。尿石の固まった便器の縁をブラシで擦っているあいだにぼくは二度吐いた。叫んだすぐあとだったので少し喉が痛んだ。丸い痰が出る。

海を見ていること、海たちに見られていること、知らないところにあるほくろがなによりも忌まわしいそのときに、泥土に足は突っ込まれる。かなり臭い。足を水で洗っている最中に陽は昇っていた。友達が写真を撮ってくれたけど案の定写真できちんと笑えていない。ムカデが歩き方を聞かれて死んだ話みたいに、写真を向けられると自分がどう笑っていたかを考えて結局変顔せざるを得なくなる。車の中に入って後部座席で話しているのを聞きながら寝た。

バスケは良い。ドリブルついてるだけでいい。ゴールもいらない。ドリブルついてるだけでいい。おれはドリブルついてるだけでいいので。えー。走るのやだー。新技作るので忙しい。バスケットボールの真ん中についたシミがじっと何者かを見ている。

公園で寝れなくて結局家に帰っている最中、あのまま寝れたらどうなっていたかをかすかに幻視した。きっとこどもの目が見えて、それからその小ささにおののくことだろう。

世紀末試験

はじめ、魂はぴったり六芒星のままで結び付いていたのだろう。それぞれが球体になりたがって回転をはじめたとたんに、すきまにできた三角が刺さるようになった。
朝食のたびに「はじめ、」と繰り返してる感じ。試験監督の号令でいっせいに掻き込むごはん。スパゲッティーだったけど、一問も解けなかった数学の(きっと微積)文字列みたいに、そのまま口のなかに、忘れたみたいにすすられる。証明問題がきらいだった。そもそも眼鏡がなくて黒板が見えなかったので、よく見た映画の内容を必死に思い出していたら時間が過ぎていたことに味をしめて、何回も繰り返していたと思う。まだ誰かがインターネットじゃなかったころ。
部活の休憩中バスケットボールをつついたまま考え事するのが好きだった、そのときに回っていた球体は話しているときにくるくるする指になった。るとわーるだとか言いたくないけど、そうたぶん指はフォークだったりするし、だからそれが空間をどんどん殺してしまう。空間を殺すとそこになにものかを生んでしまうので、よくなかったと思う。頭をかきむしることも同じで、丸を作ってしまったことは少しばかりの罪悪になった。でも、試験監督は一汁二菜の順列を守らせるために「はじめ、」と何度でも言い続けるし、箸の動きは公転の速度で動き回る。「はじめ、」がBじゃなくてAであればよかったのにって話をぼくたちはする。喫煙所で水のなかに突っ込まれていやなにおいをするたばこはかみさまの逆再生で、雨が干上がってくるとそれ見ろ日輪。チャイムが鳴るまでに教室に帰らないと、時計の針が刺さってしまう。

唐揚如来

樹の瘤がからだに移って増えていく夢をずいぶんむかしに見たのを思い出した。保育所のすぐ近くに城跡があって、そこの夢。根本で寝てると瘤がくっついてしまって、かさぶたみたいに掻きむしると灰色にだんだん変わってきて、取れないなあと思っていると目が覚めた。たぶん昼頃で、鳩がポーポー鳴いていて、弟は寝ていて、母親は洗濯物を干していたりする。海沿いの、堤防を少し下ったところに家はあった。家の裏は雑木林で、神社があったように思う。湿気た草と塩水のにおいがする。
幻覚がどうにも嗅覚に特化してきたみたいで、なんにもないところでにおいがするようになってきた。潮だったり飯だったり香水だったり酒だったりする。空腹に耐えかねた脳が代わりのものと言って渡してきているのだろう。必死に棚を開けて、へそくりでも探している。
友人から久々に連絡があったので出てきて酒を一杯だけ飲ませてもらった。元より百円しかないけど、と思って財布をひっくり返すと三十三円だった。記憶をそのまま売り飛ばせたら、というのは世にも奇妙な物語でやってたはずだけど、記憶はいわばひとつの負債なので実際は不適切だと思う。記憶は、ことばと同じように本来「それの存在」ではなくて「それでないものの不在」というものであって、それでも言い切ろうとするときは必ず、ぼくは知らない間に一度口を噤んでいるのだ。軟骨唐揚げを噛み砕きながら(いまだってその感触が残っている)、ビールを口内から排除しているとき、ぼくはありえた記憶という膨大なものに対峙させられる、そう思うと感触はあまりにもさびしくなってくる。黙るほかない。ましてそいつは不在のときにこそ膨らんでいくのだし、たぶんその色は灰色で、潮のにおいがする。

地元の博物館の原始人の人形がこわかった。小学生の時に遠足かなにかで行って、暗がりで、下から照明で照らされて獣の皮を着たカッコ付きの「人形」自体にそのひとでなさを感じてこわがるっていうのはもちろんあることだろうけど、それ以前にこの人形がこのまま何十年か安置されて、せいぜい数メートルくらいしかないまして仮想の草むらの間に間に静止し続けているのだろうかと思うと、ぞっとした。かれは背景を背負ってずっと沈黙して、一方だけ見つめている。

歩いている最中、石畳の裏をひっくり返すとたいていフロッピーディスクが埋まっている。たぶん三か四メガくらいのもので、カビが生えていたりコーヒーをこぼしていたりして、きたない。中空に浮き足立っていないと、四角の瞼が重く開いて銀盤の眼に睨まれてしまう。それがいやでまっすぐか上かってなると次は通行人と目が合ったり信号と目が合ったりしてとうとうアンダルシアると、今度はそれがもともと言葉だったことを忘れていたから、けっきょく睨まれる。まなざしから逃れるために目をつぶっても、どうしようもならない。まなざしまなざしと言って、モズノハヤニエだなんて思わないけれど、スーパーでたまに売ってるタイプの魚くらいは想像した。食卓に乗った魚の白くなった目を食べても、赤血球や酸素も見るだろうとなると、さすがに困った。原始人はすごい。けれどああなりたくない。毎秒、円盤がグルグル回ってかなしい。

帝王切開

もちろんわたしたちは液体でした。きみが囀るずっと前から。五角形の回転数を合わせる交通整備人のささくれだった手を見るのがいやなので、地面に目を向けるとたいてい昨日の吐瀉物に飲まれてしまう。「数百年前は海だった」と喧伝するわけではないけれど、けれど、喉元や鼻の穴に残った塩気を思い出すには充分なともしび、街灯と同時に夜が歩いてくる。公園の辺りから石畳の方まで池は満ち充ちて、卵の白身のようにふくらんだ水面がある。わたしたちはその腹を撫でて、もはや浮かぶとも沈むともつかない。くさむらをいっぱいに吸い込んで、心臓の襞が湿って、滲んで落ちてしまいそうだ。こきゅう、というさかしらな動作を作動させる肺腑だってあえいでいる。熱さ、気管の真ん中で、何度もグルグル繰り返す。もちろんわたしたちは液体でした。液体はわたしたちではなかったけれど。うっすらとふくらみが割れる。その、裂け目から、訪れてくる。鵜飼いだと思えば違うようで、声、や、音、が、訪れていった。浮浪者は空き缶を拾うのに精一杯だった。

オレンジジュース時速八十キロ

居酒屋のトイレでうずくまっていると出てくるのはおそらく接続詞で、モルフォが握ったシーツの端を感じている。照明は暗いオレンジ色だった、「抗菌済」の文字がいやに大きい記憶の、目盛が振り切れるまでをじっと感傷するに決まっている。

車窓の明滅や蓋が転がるリノリウムや時速八十キロのオレンジジュースを一緒くたに食い散らかしていく、たぶん秒針を持った怪獣が塔やビルを薙ぎ倒してしまっているのだ、それからのことを考えるには少し頭を水蒸気にでも当てて、麦酒でも飲んでいるがいい。その足がどしんと音を立てて、泡がこぼれる前に。切符が冷や汗でどんどんふやけるころ、大怪獣は町のど真ん中の噴水に行くだろうから、その熱量にぬるくされないように、たばこの火を消されないように、袂を握り締めて回想する。怪獣はラーメン屋や定食屋を指の先で潰している、粉微塵になったコンクリートや木屑が宙をブンブン舞って、怪獣の目を盲にした。その隙に戦闘機は飛び立つ空に精液状の白斑を塗りたくって怪獣をやっつけに行くし歓声は上がる。だがあまりに彼らが早すぎたがゆえに、光速を超越して、時空間ワープしてしまったがゆえに、あとは呆然と座って麦酒を飲み続けるのみだった。そして怪獣に踏み潰された幽霊たちが他人の喉を抽象化していくさなかの夜、胸骨の浮き出たみずからの胴が、収縮していることにはじめて気付かされる。廃屋から血肉はあとから付与されたものにすぎないと知らされてかれらは、そのために太り続ける。何度も文字にえずく。うっ。おろろろっ。