グラデーション

弟に連絡が取れるようにしてくれと電話越しの声が聞こえたのは昼を大幅に過ぎたころだった。地元で麻雀でたいそう羽振りがよろしくなったらしい知人の声は数年前に比べると少し低くなっていた。長閑とした陽の光とかを浴びているにもかかわらず腸の底はもたれてきて、鈍い獣らしい音を立てて、吸っている煙草の灰を一緒に吸い込んでいるような気分だった。あいつ俺に三十万借りようとしてたんだけど、でますます気分が悪くなって、二日くらい伝書鳩を繰り返した。それから知人からの連絡はない。それらの手前で母親から送られてきた弟の成人式の写真を見ているだけに、やっぱり長くはなさそうという漠然とした実感が大きくなる。肺気胸で野球部を辞めて、それからは家で煙を吹いて生きていたような弟だから、案の定親の脛を兄弟ともどもで齧り尽くしている状態だが、たまに訪れる可哀想という感覚自体がどうにも俺としても如何ともし難い。数日もすれば忘れるので、父親からの連絡をほどほどにこなしている間に、台東区らへんで天井を眺めて次の夜勤を待っているだろう弟の姿を想像することはなくなった。

ペンネのゆで方が毎回うまくいかず、近くの業務用スーパーで買い込む度に失敗してデロデロのグチャグチャになったペンネを半泣きで啜っている。ゆで時間がおそらく悪いのだろうとは思う。水に漬けて一時間、とうとう日常的に摂取するペンネに親しくなった。台所は時間の経過と共に新たな生命を生んでいる。ここには宇宙がある。腐臭がする度に寝室に逃げ込むがそれらも無駄なあがきだ。主に畳まれず山積みになった衣類を寄り代とするものども、あのものどもをどうにかするというところから契機である。このものどもをどうにかしないことにはそもそも生活以前の状態で留まり続けるわけ。滞留。どぅむーる。ムール貝を初めて食べたのはサイゼリヤで、神の雫って漫画にふたりともハマっていたからスパークリングワインのデカンタの感想を言い合っていた。うらびれた海岸の砂浜に埋まっている百円ライターのような味だった。そのあとに服を買って、スロットに千円突っ込んで負けた。四分の一の値段だったからまだよかった。総武線に乗り込むときに景色がどんどん重たくなるのがわかった。窓の外で質量を持った夜が横たわっていた。

生まれてから一度も要領よくことが運んだことはなかった。つまりはリズム感の問題。四拍子から五拍子への移行が苦手で、反対に四拍子から三拍子はひとつ減らせばいいだけだから簡単。五拍子になった途端に世界全体が悪意を持った一個人として襲い掛かってくる。三拍子みたいにはいかない、三拍子は基本Dのコードが似合うと思っている、でも五拍子はよくわからない、四拍なら六十進数にも対応可能でだから楽なんだろうとは思う、キックの押し方、ショウリョウバッタ、冬が寒い、涙がしたい、はペソアからの引用、たいそう寒い、三拍子でしか捉えにくい。