セックスオンザ既視

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鶏肉を醤油で煮込む。世知辛いくらいに暑い。圧力釜の底にこべりついたイベリコ豚の残骸を眺めている、うそ。ほんとはカナダ産。腐りかけのキャベツを千(実際は五十)切りにしている視界の先端に浮遊する油が眼鏡に付く、珍しくもも肉、いつもは胸肉なんて買えやしないので、それだけに立ち込める臭気でいやになってくる、板橋の花火大会に行った友達のインスタグラムを眺めている、過去のことで、光景が何日も水でしか洗っていないまな板に反射する、ところどころ汚れている(それは夜のあぜ道)、三人で並んでいる、友情フェラってなんだっけ、真摯さってなんだそれ、そういう感じの話。豚肉で派手に遊んだので、台所は目下わりあい最下層のごちゃつき具合と汚さを見せていて、だいたいパーティーすれば片してもらえたんだけど、どんどんみんな消えていくのは否めないしそれもまあ夏なので。夏なので。人の誕生日を何のためらいもなくお祝いできるようになった、お酒がどんどん弱くなった、記憶はどんどんぶっ飛んで昨日が今日だかあいまいそれは言い過ぎ。手はよくしびれるようになった。せいぜいのところ噴出してきた圧力鍋のはじめだけおそろしい黙示録めいた嗚咽で、このとき圧力鍋の蓋からは気圧変化を間違えたせいで醤油だれが噴出していた、太陽肛門。脱肛。露出した肛門がほんとうに排泄機関としての機能を果たしているだかより今日の飯、手元には二千円しかないし、生活がどんどん物語めいてくるのは思ったよりいままで物語から離れていただけで、単純に居酒屋にひとつ足を踏み入れれば気の利いた話のひとつやふたつくらい耳に挟むことなんて案外かんたんなことなのかもしれない。それでもまなざしやらなんやらによってそれが組み替えられるときのこと、そういうところを何度も何度も反芻して、咀嚼して、つまりサイコーの夏を何回でも繰り返して、何回でも繰り返して、サイコーの夏というのは式年造替に、細胞に似ていて、アンドゥとリドゥを繰り返してギリシャの舟みたいに組み替えてしまうだけのことで、それは昨日の鶏肉のことを考えることでさえなくて、過去と対応させながらもう一個と砂糖大匙一杯足すだけで、最後に残った秘伝のたれ、ぼくらの秘伝のたれ、ああ秘伝のわざマシン、わざか、わざねー、作為的な韻律に毎回戸惑わされている、作為というのはおそろしいもの、魔物、そう夏は魔物、『夏の魔物』というやつはたぶんに冗語法で、夏に魔物が潜むということを考えるからみんな生ハメしたり性器にピアス開けたりするんじゃないだろうか、ぼくはそう思う、思う、われ思う、われサイコーの夏にありとわれ思う、ゆえにわれサイコーの夏にあり、パロディ、夏に同化しようとするとたぶんだめになる、それは夏ではないから、それはもっと遠いものだから、気圧変化で崩れる鶏肉みたいに暑さでやられてしまってもまだ夏ではないから、夏はきっともっと遠くのところにあって、そのかたわらにだけほんとうのビーチがあり、ほんとうの花火があり、ほんとうの熱中症があり、夏の真似事をいくらしたって火を盗んだ罪人のように夏を盗んでしまわなければ意味なんてないのだ。だからガスでいま煮込まれた鳥だけが正しくて、ぼくは祈り続けている、どうかこの鳥がこの夏を過ごさせてくださいますように、わたしをどこか夏らしいところへ連れて行ってくれますように!そうだった、夏でなくてもいいので!それはきっとほんとうにつらいだろうから、こうした紛い物の飯を食べ、紛い物の暮らしをしていっても別に生きてしまうことには変わりはないだろうから、耐え切れないなんて根を上げるのはサイゴンの露商にでも任せておいて、夏をですね、夏をですね、夏をですね!カナダ産豚肉の臭気。