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膣内バレー

東京の話をしてみようとすると途端に途端にその、町がぼやけていく感覚がある。と言うのも実際二年ばかり住んでみたものの、未だ知っているのは微細な特徴だとかではなくて、単なる答え合わせに過ぎなかったからだ。感傷的な文章に合わせるために都市があるんじゃないからな、わかってるのか、なる旨の十代の怨恨がそのままのし掛かってきてそろそろ重たくなってきても、依然それが文化的であるだとか人に溢れているだとか、会いたい人に会えるだとか、そんなことでは決して決してなかっただろうし、ないだろうと思っている。首都の名詞に張り付いたものを人間がそのまま受け止めきれないから、うちから近所の煙草屋までの通りには二三の吐瀉物があり、地元の盆踊りよろしく夏の代々木公園には使用済みのゴムが転がる。飲食店を近辺に置き排泄欲求がやたら高めるわりに、新宿のルイヴィトンにはトイレがない。ひたすらつらい。なめとんのか。
「東京は、誰にも会えない。」と書いたのは誰だっけ覚えてるけど知らないふりしとこその方がかっこよさそうだし、ナウいでしょそういうの。コンクリートジャングルは寒いぜ、切実だぜ、などと言っていればいいのか。そんなものか。大状況めいて書き出したものの、なんにも浮かばねえ。そういえば「東京はクソ」と言う人々の目玉には常にこっぴどい人間模様があるんでしょうね、可哀想ですね。昔の女をボロカスに言う気持ちと似ているんだろうとひとりでに思っていたら口を揃えていて、こわくなった。それだけ。
答案用紙を裏返して落書きを続けるその気持ちが未だに残って困っている。まだ解答欄は微塵も埋め尽くせていない。アンチョコはずいぶん昔にひとりでに破裂して、カンニングペーパーは教室の外に飛び出した。パルコの広告のセンチメンタリズムに浸されてビシャビシャになった机の上で、鉛筆をしがんで教鞭に打たれる。