セイベベ

 物心が付いた気が未だにしない。中空に自分の魂がふわふわと浮いたままで、日常的に幽体離脱しているからこのような身体なのかなあなどと体育祭で行進ができずに端っこの方に追いやられていたころ、思った。身体が不器用で、などと言い出すと、それは誰が、と言われ、なにと比べ、と言われ、じゃあこれは、と言われ、はい、と黙る。はい、はい、灰になるとハイミナールは似てるというダジャレでもって文章を回そうとしたけど薄汚いのでやめた。こどもは七つまで人間ではないというのが有名だけど、そのあいだこどもの魂は中空に位置していて、常に第三者的に、そして確実に第三者であるからこそ感覚が鋭敏であるはず。失っちゃったのねアタシたち……という居酒屋であと一週間後くらいに語られるあのゆるい感傷が、冷めて見えるし他人事めいているのは、むしろそれが厳然と自分事に他ならないからだ。いわゆる天使主義的虚偽です。そういったものをむしろ受け止めきれないか考えているあいだにうどんを茹でるために沸かした湯が沸騰する。手元にあるの二千円くらい。光熱費はまだない。ウギョヒーッ。ウヒイイーーッ。ウジャジャゴジャグジュジュジュジー。グエッヘ。エッホ。オエッ。……しかし、こどもであるとかおとなであるとかそういう話をすることで名前を付けてラッピング、ジバニャンが黒衣でもって見せ付けてくるのは痛々しい一人称だ。いかんせんひっついているので統御できるものかと思っていたらそうではない、おれがおれに馴染んでいない。誰が、なにと比べ、じゃあこれは、はい。うどんの光臨をべたつかせて天使はスプーンの上に乗る。