地元の博物館の原始人の人形がこわかった。小学生の時に遠足かなにかで行って、暗がりで、下から照明で照らされて獣の皮を着たカッコ付きの「人形」自体にそのひとでなさを感じてこわがるっていうのはもちろんあることだろうけど、それ以前にこの人形がこのまま何十年か安置されて、せいぜい数メートルくらいしかないまして仮想の草むらの間に間に静止し続けているのだろうかと思うと、ぞっとした。かれは背景を背負ってずっと沈黙して、一方だけ見つめている。

歩いている最中、石畳の裏をひっくり返すとたいていフロッピーディスクが埋まっている。たぶん三か四メガくらいのもので、カビが生えていたりコーヒーをこぼしていたりして、きたない。中空に浮き足立っていないと、四角の瞼が重く開いて銀盤の眼に睨まれてしまう。それがいやでまっすぐか上かってなると次は通行人と目が合ったり信号と目が合ったりしてとうとうアンダルシアると、今度はそれがもともと言葉だったことを忘れていたから、けっきょく睨まれる。まなざしから逃れるために目をつぶっても、どうしようもならない。まなざしまなざしと言って、モズノハヤニエだなんて思わないけれど、スーパーでたまに売ってるタイプの魚くらいは想像した。食卓に乗った魚の白くなった目を食べても、赤血球や酸素も見るだろうとなると、さすがに困った。原始人はすごい。けれどああなりたくない。毎秒、円盤がグルグル回ってかなしい。