肥満児が見てる

夕方に銭湯に行った。いつもは靴箱の33番を使うのだが、日曜日の夕方となると行楽を終えて戻ってきた親子やら若者やらでごった返して案の定空いていない。左横の41番にスリッパを入れた。目線の高さと手の高さにちょうど合う位置で、かつ覚えやすい数字かどうかが靴箱なりコインロッカーなりを選ぶときの点になっている気がする。端を選ぼうとすると自分の手を伸ばさないといけなくて億劫なので、そうしない。浴場で自分のからだを見るとサイゴンの下品な紫外線で真っ黒になった肌があった。「ギャル男」と口に出す。鏡のなかのおれも同じように口を動かす。自分のからだが変化するのはおもしろい。弄ばれているのが肌身にそのまま現れるから。
小学生のころは太っていたから、当たり前に服が脱げる友達が羨ましかった。自分のからだが憎かったことなんて言うまでもなかった。二段ベッドの上から落ちて肩の骨を折ってから、ブクブク太っていくあのあいだの恐ろしさと、同時に空腹と、それでも運動をする気にならない怠惰のおぞましさが一緒になって、毎日襲ってきた記憶がある。終わりにかけて唐突に痩せた。体重がそのままで、身長が十センチ伸びた。そのときはわくわくした。たばこと酒とにきびが後ろに控えていることも知らずに。
最近は恐怖や嫌悪よりも漠然とした興味だけになった。苦労をして苦労をしてやっと手に入れた、たとえば筋肉なり体力なりといったものには元から興味がなかった分、かえってそれが一気になくなったりすることの方が被虐的な楽しみになった。目元を何度か眺めていると、皺が増えていてひとりでウケている。そういう夜は、耳元で誰かに囁かれて、そいつの皮膚がパンパンに膨らんでいることに気付く。でももう何も言うことができない。じっと眺めることしかできない。
数年前や数ヵ月前、数日前の自分に憎まれ続けている気がずっとする。他人に憎まれているならまだ話すなり笑い飛ばすなり罵詈雑言を浴びせるなりどうにかしようがあるのだけど、自分に対してはなかなかどうしようもない。その憎しみが見当違いだろうこと含めでどうしようもない。聞いたことのないバンドの話を友達が始める度に永遠の小学五年生たる肥満児が暗闇から裁判官の顔で歩いてくる。じっと眺めることしかできない。そしてその顔がつい先日見たものと同じだったりする。
自分に向かって呪詛を吐き続けているありさまだからこのあいだも泥酔して記憶が飛んだ。それから禁酒を誓ったものの十日足らずで破った。銭湯を出て階段を降りると少し寒かった。帰り道で酒を買った。

成田エスプレッソ

黄緑色のトレーに乗った白色オンリーのサラダの群れを見ていると自らの色彩センスのなさに辟易する。しかしこの食堂のサラダは総じてクソ不味くいかに及第点を選び取るかが問題でして、そうなると無難なコールスローやおそらく不味くなりようのないポテトサラダを選ぶ。偏に肉がほしかった肉は旨いんだ肉はというだけの気持ちで飯を咀嚼しているものの、怠け癖が治らず未だにナイフを右手に持っていて、「育ちが悪いんだよ」と言ったら「親に謝れ」と言われた。その通りだと思う。
一人で飯を食っていたら知り合いがいたけれど気付かないようだった。人がわんさかごった返してるなかでもJAPANと刺繍の入った俺の赤いスカジャンはそうとう目立つはずだけど、とうとう幽霊にでもなれたのだろうか。氷を見せしめみたいに噛み砕いて、トレーを棚に戻して、食器を適当に洗っている最中、去年曲がった歯がしくしく痛む。ドッヂボールをしていて顔面で受けようとしたら盛大に地面とバウンドした。砂利が唇を貫通した。その手前ではブランコを「ああ子供時代……ああ子供時代!」とサンテグジュペリでも暗唱しながら漕ぎ楽しんでいたはずなのに、記憶に残っているのは「銀歯にしようぜ」「いやダイヤモンドだな」「ラッパーみてえじゃん」それと抜糸の激痛。痛みで久々に泣いた。病院を抜けて安田講堂近くのクリスマスツリーを見ているとほんとうにどういうことだろうと思った。そのあとはふて腐れて帰ってシコって寝た。八つ当たりとばかりにそのあとしこたま酒を飲んで記憶を飛ばしたら、また地面に歯をぶつけてひたすら叫んでいたらしい。起きたら知らない門松が隣で寝ていた。

「年下が来て自分が年老いたアピールするやつめっちゃ嫌いなんだよ」って友人が言っていた。若さが相対的なものであってほしくない気持ちというのはある。でも金魚の水槽と同じで新陳代謝させないと若くならないのかもしれない。いきものを育てることには向いていなかった。妹の世話だってしたくなかったのに、魚なんか育てられるわけがなかった。金魚は全滅して、メダカは大概南無阿弥陀仏、トイレに流すたびに地獄だものなあとひとりごちているが、そういうときに決まって灰皿をひっくり返す。悲しいことに娯楽でしかなかった。死ぬ間際に水槽の天辺に向かう金魚どもは貧相な言い方をすれば㈱助けて守護月天、気持ちのインフレがQOLと反比例している。魚の水槽に溜まったゴミのことは考えないでハイボールを飲み続けていたら毎日熟柿のにおいがし始めてきた。かつてもいまもこどもであれた試しがない。しわくちゃに生まれてしまった。

ポンカレーの見える海

地元マァヂ愛してっから、マァヂ地元愛してっから、ということを爆笑しながら話す人間の顔には、常に口の端の皺やらに暗いものがいつまでも付き纏っている。郷里の話なんぞしとうないしとうない!と駄々を捏ねていたものの、その、地元と呼ばれるものに付随するほの暗さやひとつの後ろめたさはなんだろうとは思う。それは上京やバックレに見られるものではなく(少年は虐待を受け~みたいな陳腐な納得をさせるあのプロセスが好きじゃない)、むしろ地元にいるときに本質的に感じていた遠さというか、疎外感というかまあ疎外感なんだけど。中川の家行ったときにポケモンやってたんだけどそんときやっぱルビサファ流行りくらいの感じで、でも長谷川は一個上なんだけど長谷川ん家行ってるときと中川ん家行ったときのルビサファのニュアンスがぜんぜん違うわけ。中川ん家がいいとこだったとか長谷川ん家ではスマブラサルゲッチュやってたとかもちろんそういうとこはあるけど、それでもやっぱり両方人間っぽくなくて、攻略法とかそもそも俺知らねえし、家帰ってまでゲームしたくねえしそれならこち亀読みてえし、ていうか先輩のコウジくんがマジヤバくてさあ、あの人原チャ倒したやつボコしてそのまま川投げたらしいぜマジヤバくね。マジかよヤッバ。つうか長谷川家の前に心スポあんじゃんアレやっぱ出んの。出る出るマァヂ出る。うっわー。文化的な会話じゃない!文化レベルが低い!とかそういうのじゃないんだ、たぶんそれも同じことなんだよ、コウジくんヤベえのとシェイクスピアヤベえの別にあんま変わんないし、そういうのよりもっと遠くて、長谷川が今はパチンコ屋でバイトしながら地元の俺らの代のと麻雀打ってるみたいなところにあるこの遠さっていうか、時間のせつなさとか生老病死とかじゃなくて、たとえば飲んで次の日にする暗い話とかでも、どこかなんとも言えなく遠くて、当事者性が失われているというか、どうしたらいいのかよくわかんないっていうか、バスケの顧問の顔とか財閥息子とか思い出してもアレがどう考えても俺自身の生だと言えるかと思えば少なくともそうではなくて、それは多分に固有のものでなくてはいけないみたいな思い上がりがまずあるのはわかる、わかる、わかるとしてもだ、そう本来あった生、本来あった生はそれほどまでにテンポが一定付けられていなくて、いわばぜんぜん当たらねえジャグ連十二分の四で、毎回千円ずつジワジワ蝕まれていく感じで、地元がどんどん死んでいく。いっぺんになにもかもぶっ壊されやしなかった。すげー緩慢に、スロウリーに、すろぉぉぉぉぉうううううううりいいいいいいいいに、きっかけはなんでもよくて、ポコッと消えるのが頻発する。そういう感じだ。スマブラみたいな派手なエフェクトが出ればいいなと思ってる。

夢でなし

久々に長い夢を見た、もう書いたので別に書かないけれど、よかった、夢の中で旅行するのはなんとも楽しい、けれど薄暗さがずっとあった、起きても暗いままだった。ビジネスホテルのカーテンの遮光性の高さは、普段日光でレムを阻害されてうううと起きるよりも不快だ。起きたらそのまま夜だったかのような焦りを覚えさせて、カーテンを引っ張って、隙間からホームレスが缶のたくさん入った自転車を引くのや、市営のバスが走るのが見えると、安心して二度寝して、そのまま思った通りになる。大概ビジネスホテルを使うときは部活の遠征や軽い旅行以外にはないので、早々に、十時には部屋を出なければと思うし、パリパリのシーツが体に合わないので寝付けない。父は数年前までホテルマンだったが、実家の俺の部屋は壮絶な様相を呈しており、その度に自らの職業が無下にされているような憤りを覚えていたのだろう、ファミコンひっくり返したり、たまに俺にビンタしたりしていた。お陰でいまも部屋が汚い。掃除なんかしてやるものかという反動形成が大いに作用している。いいえ。自身の単なる怠惰に過ぎません。
ペテルブルクの貧しい青年のような、あるいはリスボンの会計士のような、あるいはブエノスアイレスの詩人のような、そんな夢を見られたら楽しいものだろうか、そこまで書いて、夢のなかの通過地点にリスボンが含まれていたことを思い出して苦笑している。そこにある起き抜けの薄暗さを捨象している間に、何匹か魚が水槽でぷかぷか浮いている。トイレに魚を流す度に、友人の顔が浮かんだり沈んだりするので、尿石ごとブラシで削って、下水にまとめて叩き込んだ。そこから立ち上ってくるすえた臭気が夢と呼ばれるものだ。枕の下に流れる誰かの水音を聞いている。わが部屋に堆積した無数の夢でなしが、恨みがましく押し入れから覗き込んでいるのが見える。

居酒屋で忘れた煙草のラスイチに

ほら、その、もう少し下らへんというか、下降している感じみたいなものがあって、そいつらは頻りに信号待ちくらいで、刺してくる。学者の地層を眺めるときの目付きと、片眼鏡の奥で光る瞳孔の、その間に立ち尽くしている倦怠、まなざしへの、メザシの唐揚げが旨い、早贄まで飛んでみて、腐らせてしまった多くの鶏肉にクセジュを投げ掛けて、メダカを目下見ているんだけど、目があったときに鋭角だとおもう。先端恐怖症の友人に煙草を近づける悪趣味は、昨日した。今度はメダカを近づけてみよう。数年前、女がラーメンを鼻から出しているのを眺めてから「胃下垂で」と彼女が弁明するのを聞いた、おそらくどちらも同じことだ。ホッピー中。絶えずデラウラ、はその生涯を汚れたシーツを洗うのに費やしたが、水を吸って潤沢に跳ね回るシーツに女の影を見たのだろうか?火炙りにされた狂犬病の女にとり憑いたものどもは、火によってその威厳を失い、あと肉汁を放つ。ハラミください。用心深く見張ることだ、いいな、串の先端部の焦げ付きからそいつらは染み出してるかも知れない、宇宙と呼んでもいいかもしれない、ウェルズの海底が奇しくもその色として似るような塩梅で、魂の焦げ付きが至るところに張り巡らされているに違いない。てんでばらばらだ。統一感を伴って?お会計で。交差点で立ち止まって後ろに振り向いて手を振り何かを暗示する女を見た、俺は後ろを見たが誰もいなかった、「ここから」、なんて言ってるのかぜんぜん聞こえなかった、三回目で狂ってるのだろうかと思ったら、素っ気なく向こうの通りに入ったらその暗示をやめて、カーキ色のダウンジャケットの右裾をぶら下げながら女は消えていった。数秒もするともののみごとに雑踏で、うすら寒かったので地下鉄のホームで暖でも取ろうと思った。何人かと目が合ったが、そのままみんないなくなった。

いぬくさい

うう、とかああ、とか喚いていたりする。犬臭い!築地市場のホルモン丼を考えて、まだまだ、状態はちっともよくない、漫然として、テンポがぜんぜん上がらない、た、あ、む、た、あ、む、……白線の内側を越えた双子の片割れ、冷静さを欠いたに違いない、それこそ証明問題におののいて、三角関数の周りに張り付いた肉塊がシミになって取れないときのような単語!ぶぇーぶぇー鳴りぶぁんぶぁかだーばーばーばー潜伏する息の、当て処をなくして傘を叩きつけ諸世界の底は「もっと下」と言い始める、んん、臭い!入念に、入念に、乳鉢で擂られるゲンコツ、飛散する胎盤マグネシウム色をしており、それらが生命を近付ける度に燃える、燃えなければならない、んん、臭い!臭い!あるいは鼻孔に引っ掛かっているのかもしれない時間が、凍りついた炎と呼ばれる胃の痛みが、黒胆汁を垂れ流したわが片割れ、フォアグラよりホルモン屋で得られる第二の人生を!常に第二だ、二楽章目、イントロが終わったあとの退屈なAメロ、俺に与えられたハードテクノ、この臭いは産まれる前に嗅いだはずだ、つまり白線の内側において。鍋だった、テフロン加工された俺の実存ゎゅるくゅるくなってィク……、っかみにくぃ鍋の取っ手に並んだ前-弟共を突き飛ばせ、非-弟も、未-弟も、三度回ってワンと吠えろ、キックの三連符!

膣内バレー

東京の話をしてみようとすると途端に途端にその、町がぼやけていく感覚がある。と言うのも実際二年ばかり住んでみたものの、未だ知っているのは微細な特徴だとかではなくて、単なる答え合わせに過ぎなかったからだ。感傷的な文章に合わせるために都市があるんじゃないからな、わかってるのか、なる旨の十代の怨恨がそのままのし掛かってきてそろそろ重たくなってきても、依然それが文化的であるだとか人に溢れているだとか、会いたい人に会えるだとか、そんなことでは決して決してなかっただろうし、ないだろうと思っている。首都の名詞に張り付いたものを人間がそのまま受け止めきれないから、うちから近所の煙草屋までの通りには二三の吐瀉物があり、地元の盆踊りよろしく夏の代々木公園には使用済みのゴムが転がる。飲食店を近辺に置き排泄欲求がやたら高めるわりに、新宿のルイヴィトンにはトイレがない。ひたすらつらい。なめとんのか。
「東京は、誰にも会えない。」と書いたのは誰だっけ覚えてるけど知らないふりしとこその方がかっこよさそうだし、ナウいでしょそういうの。コンクリートジャングルは寒いぜ、切実だぜ、などと言っていればいいのか。そんなものか。大状況めいて書き出したものの、なんにも浮かばねえ。そういえば「東京はクソ」と言う人々の目玉には常にこっぴどい人間模様があるんでしょうね、可哀想ですね。昔の女をボロカスに言う気持ちと似ているんだろうとひとりでに思っていたら口を揃えていて、こわくなった。それだけ。
答案用紙を裏返して落書きを続けるその気持ちが未だに残って困っている。まだ解答欄は微塵も埋め尽くせていない。アンチョコはずいぶん昔にひとりでに破裂して、カンニングペーパーは教室の外に飛び出した。パルコの広告のセンチメンタリズムに浸されてビシャビシャになった机の上で、鉛筆をしがんで教鞭に打たれる。